※少しショッキングな内容の記載があります。閲覧に当たってはご注意ください。
小学校二年生のその年齢の時には、私はすでに「自分は生きていてはいけないのではないか」という思いに囚われていました。
夭折した一つ上の兄がいるのですが、彼が生きていたらきっと私は生まれてこなかった。そういう風に私に言った人がいました。よかったね、お兄ちゃんが死んで、という雰囲気を言外に含ませて。
それはおそらく、扱いづらい私への気まぐれな八つ当たりだったと思うのですが、私にとっては大人の発する真理以外の何物でもありません。
そのため私は兄の代わりに立派な人間にならなければいけないという命題を自らに課しました。しかし、毎日布団の中で振り返っても、とてもとてもそのようなものには程遠い、自堕落な毎日をおくる自分自身の姿しか現実にはありませんでした。
そのころから自己肯定感の低さはあったのだろうと思います。自分なんて、自分なんて、と。
「一緒にゲームをしよう。勝ったほうが、相手に何でもしていいことにする」
それがきっかけでした。
相手はずっと年上で、どんなゲームであっても勝てないであろうことは、私でも想像がつきました。それでも私は「わかった、いいよ」とゲームをしました。何度も。何日も、何年も。
例えば、目の前で何か物を落とした人に、反射的に拾って渡す。
そうすると相手は笑顔になりますよね。笑顔が見たいとか、感謝されたいと思わないでも、その行動が正しいのだとその笑顔が証明しているのです。
ネグレクトで「何をすべきか、しないべきか」を教わることができず、常に不安だった私は笑顔の解答に飛びつきました。正しい人間として生きたい、と。
ゲームに勝った相手はいつも笑顔でした。
そのゲーム後の行為に応える私の行動は、正しい、或いは必然的なものだと私には映りました。
それは楽しくはありませんでした。
でも、つらいとも感じませんでした。
また、気持ちよさは感じたことがありませんでした。少なくとも私は。
私は短髪の人が苦手です。
ずっとその理由はわからなかったのですが、長じてあの行為が虐待だったと知った後、頭髪の間から地肌が見えるその光景が、心的外傷のフラッシュバックの引き金になっているらしいことを理解しました。
私には「穢れている」という感覚はありません。なぜなら、人を笑顔にする行為が間違っているわけがないのです。それに痛みや苦しみは、自己罰的に、私が自堕落に存在することの罪悪感をうすめてくれる面を持っていました。
もともと持っていた酷い認知の歪み、それにおそらく合理化などの防御機制、そして解離、などが私の精神を守ることとなり、深刻に悩むことなく生き延びるに至ったのかも知れません。なにより空想の心地よい世界は、いつでもどこでも私のそばに枯れることなく存在していました。
そしてそれらの行為の本質(〇的虐待)を理解したのは、30歳をかなり過ぎてからでした。


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